秀吉の時代、お茶と一緒に何を食べていた?

利休の茶会にたびたび登場した、薄く焼くお菓子の話。

文・編集:SWEETS FIND

薄い生地を巻いたふの焼と茶碗のゴールド線画
薄い生地をくるりと巻く「ふの焼」と、お茶のひととき。

1587年、秀吉は北野で大きな茶会を開いた

豊臣秀吉の時代、お茶の席にはどんなお菓子があったのでしょう。手がかりのひとつが、茶人・千利休(せんのりきゅう)の茶会の記録です。

まず時代をたどると、北野天満宮が伝える北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)は、天正15年〈1587年〉10月1日に秀吉が催した茶会。今から400年以上前、安土桃山時代のことでした。[1]

「秀吉の時代の茶菓子」を知るには、この大茶会の華やかさに加えて、同じ頃の小さな茶席にも目を向けてみるとよさそうです。

白い茶碗に点てた抹茶と竹の茶筅
茶碗に添えた茶筅(ちゃせん)は、お茶を点てるための竹の道具。現代のお茶の道具にも、その姿を見ることができます。

茶会の記録に何度も出てくる「ふの焼」

『利休百会記(りきゅうひゃっかいき)』は、1590年から1591年にかけての利休の茶会を収めた記録です。北野大茶湯から数年後、利休の晩年にあたります。[2]

とらやの菓子資料室・虎屋文庫は、この記録について、88回の茶会のうち68回で「ふの焼」が使われたと紹介しています。特別な一度だけのお菓子ではなく、繰り返し茶席に登場していたことがわかります。[3]

薄い生地に味噌を塗って巻く。姿はクレープに近い

ふの焼を想像するなら、薄く焼いたクレープのような生地が手がかりになります。

虎屋文庫が紹介するよく知られた作り方は、水で溶いた小麦粉を平鍋で薄く焼き、味噌を塗って巻くというもの。「お菓子なのに味噌?」と思うかもしれません。今よく見る、あんを包んだ饅頭や色鮮やかな生菓子とは違う姿が浮かびます。[3]

ふの焼のイメージ。薄く焼いた生地に味噌を塗り、巻く3段階
薄く焼く → 味噌を塗る → 巻く。虎屋文庫が紹介する、ふの焼の作り方。

ただし、ここで説明した形や作り方を、すべての茶会に共通するものとして決めつけることはできません。クレープという言葉も、見た目を思い浮かべるためのたとえです。

「秀吉の時代の菓子」と「秀吉が食べた菓子」は分けて考える

今回の資料から見えてくるのは、秀吉が生きた時代、利休の茶席でふの焼がよく使われていたことです。一方、北野大茶湯でどんな菓子が誰に出されたかは、ここで参照した資料だけでは確認できません。

歴史を知る楽しさは、有名な人物の好物を探すことだけではありません。薄い生地を焼いて巻く、身近にも感じられるお菓子が、400年以上前のお茶の席にもあった。その一品を思い浮かべると、茶会の景色が少し具体的になります。

参考資料

資料確認日:2026年10月13日。歴史上の日付は出典の表記に従います。

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