金平糖はどこから来た?
名前に残るポルトガルの面影。
信長への贈り物から、日本でつくられるようになるまで。

和菓子としておなじみの金平糖。その名前と歴史には、海の向こうとのつながりが残っています。
この記事でわかること
ルーツは、ポルトガルから伝わった砂糖菓子。
金平糖は、戦国時代にポルトガルから伝わった南蛮菓子の一つです。南蛮菓子とは、当時の海外との交流を通じて日本にもたらされた、カステラや有平糖などのお菓子を指します。
その歴史を伝える出来事が、1569年の織田信長への贈り物。宣教師ルイス・フロイスが、フラスコに入った金平糖を信長に贈ったとされています。今なら袋を開けて気軽につまめるお菓子が、当時は有力者への贈答品になっていたのです。
ただし、この献上の年を、そのまま「日本に初めて届いた年」と言い切ることはできません。ここでは、金平糖の伝来を物語る出来事として紹介しています。
その後、日本でも製造が進みました。『日本大百科全書』は、国産化の時期を江戸時代の貞享年間(1684〜1688年)ごろとしています。海外から届いた砂糖菓子が、日本でもつくられ、受け継がれてきた。それが、今の私たちが食べている金平糖につながっています。
「こんぺいとう」は、ポルトガル語から。
名前のもとは、ポルトガル語で砂糖菓子を意味する「confeito(コンフェイト)」です。海を渡ってきたお菓子とともに、その呼び名も日本に伝わりました。
「金平糖」は、その音に漢字を当てた表記です。「金米糖」とも書かれます。漢字を見ると日本生まれの名前のようですが、声に出すと、もとの言葉の響きが残っています。
ポルトガルから届き、日本でもつくられるようになった金平糖。何気なく呼んでいる名前にも、その来た道が残っているのですね。
参考資料
資料確認日:2026年10月10日
写真は金平糖のイメージです。
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